6月の夢

all I dream about

相思相愛

 

かなり間が空きました。この間にいいことも悪いこともありました。

その結果、ずっと考えていることを書きます。自分のことを棚に上げてますし、理想論ですし、あまり深く考えられていません。

 

 

私にとって理想の推しとの関係は相思相愛だと思う。

相思相愛の意味をググると「互いに慕いあい、愛し合うこと」とあったけど、もちろん役者とファンとしての話です。

 

いつでも私がいるって思ってほしい。物理的に無理なこともあるけど(さすがにいつも全通できるわけではない)、あのファンは裏切らないと思っていてほしい。

 

裏切らないというのは、あらゆる点で。

たくさん現場に入るのはもちろんのこと、推しのファンを名乗る以上、後ろ指さされるようなことはしない。それは推しの顔にも泥を塗ることになるから。

 

できれば「裏切らない」からもう少し進んで、「信じるに値する」と思ってほしい。

「裏切らない」は受け身の感想だけど、「信じるに値する」は能動的な感情だ。

あいつは大丈夫だと思ってほしい。

 

よく現場にいる。推しに変な無茶振りをしない。推しに負担や迷惑をかけない。

私を、そういうファンだと信じてほしい。

 

 

少し前のイベントでかけてもらった言葉は信じてくれてると思えるもので、私は本当に嬉しかった。このために頑張ってきたんだと思った。

 

私は一人のファンにすぎないけど、あなたがその言葉を(たとえリップサービスだとしても)かける価値のあるファン(の一人)になれているなら、あなたがそう思ってくれているなら、私はこれからも、いつまででも、あなたを応援していける。

 

あなたが大好きだよ。その「好き」の線引きも間違えていないつもり。

だから、その線引きの中で、あなたも私を信じてくれたらいいなって、今までもこれからも信じていてほしいなって、ずっと思ってる。

 

 

お花問題

 

この間更新したやつ、前に書いてることと一緒すぎてビビりました。おばあちゃん、とうとうぼけが始まったかな?

 

恥ずかしくて別のこと書いて流そうとしましたがうまくまとまらず、困っていたところでお花のことがちょこちょこ話題になってるので、昔書いた下書きにあったものを出してみます。身バレしても知らんぷりしてくださーい…

 

 

 

みなさん、推しにスタンド花を贈っていますか?

 

私は新米オタクながら贈っています。駆け出しなのを言い訳にしたくはないですが、今のところ納得のいくデザインのお花を贈ることができてなくて反省しきり。次こそは素敵なお花を!と思っています。

 

私にセンスがなくて大したことのないお花を贈ってばかりだから余計にそう思うのかもしれないけど、「お花、贈る意味あるのかな…」と悩むことも多々ありました。過去形になったのは、先日びっくりする事態が起こったからです。

 

推しの事務所から一斉メールが届くことがあったのですが、そのメールの最後にこう書いてあったのです。

「●●での素敵なお花、ありがとうございました」(文章は変えてあります)

 

ふんふんとメールを見ていたら最後に爆弾ですよ。ええ!?わざわざお礼!?

確かに、その舞台では推しに届いているお花はいつもと比べて少なかったんです。だから、あのときは私も「出してよかったなあ」と心から思っていました。

でも、まさか事務所から直接お礼を言っていただけるとは……

 

それで思ったのです。やっぱりお花って大事なんだなって。

ださかろうとなんだろうと、お花は贈るに越したことはない。

 

正直スタンド花は高いです。一つ出すだけで、数回舞台行けちゃいます。だけど、お花が全然なかったらやっぱり推しも悲しいだろうし、推しに悲しい思いをしてほしくない。

事務所がお礼を言うくらいだから、「お花がない=推しは悲しい」は事実だと思うんですよね。

 

 

もちろん、事務所や役者さんによって考え方は違うのかなとも思います。

俳優さんによっては、お礼のサインを入れたり、写真撮ってくれたりするみたいですね。そういうのがあればみんな張り切るんだろうけど、それがないと、お花はブロマイドや物販の売り上げみたいに直接的な効果はないから頑張りがいがないとも思うし。

でも、事務所もスタンド花、気にしてるんですね。

参考になるといいなと思って、勇気を出してブログに書いてみました。

 

最後に一番言いたいこと。

同厨のみなさん!スタンド花贈ってください!にわかが一人で奮闘したくないよ!

 

 

金魚

 

またブログを書くことになってしまった。

あれからまたいろいろあって、自分のやっていることに満足できた瞬間があったから、もうこのブログは消してもいいかなとすら思ってた。なのに、それからまたいろいろあって、今こうして病んだ思いを書いている。


なんで人間は見返りを求めるのだろう。
いや、いきなり全人類を巻き込んでしまったけど、少なくとも私は見返りを求めてしまっている。

その見返りを得られたと思ってるうちはいい。尽くすのもハッピーだ。
だけど、見返りがないと思った瞬間、どこまでも嫌になる。


何枚もチケットを買うのも、お花を贈るのも、プレゼント渡すのも、全部自分で決めたことだ。
私がやりたくてやったこと。
やりたいことをやっていて、どうしてこんなに苦しいのか。

病むくらいならやめればいいじゃん、と冷静な私が言う。そうだね、とも思う。苦しむくらいなら降りればいい。
なのに、どうして降りられないんだろう。
今までかけた時間やお金がもったいないからなんてこれっぽっちも思わない。そこは理由にならない。

やっぱり、好きなんだろうな。


どうしたら見返りを求めずにただ好きでいられるんだろう。
好きな気持ちを表そうとしていただけなのに、私はいつの間にか無理をしていたのかな。気づいたら見返りを求める嫌なオタクになってしまっていた。ただ好きだから舞台に行く、推しがかっこいい、幸せ。ここで終われたらよかったのに、好きなもののことは全て知りたいオタク体質なばっかりに通うようになり、推しに認知され、幸せと苦しみを知ることになった。


推しからもらったものは禁断の実だ。かじったら元の場所にはいられない。知らずにいたら、ずっとエデンにいられたかもしれないのに。


推しもずるいな。私がリアコじゃないのをわかっていての発言なんだろう。
でもね、いくら私がリアコじゃなくたって、釣った魚にも餌やらないと死ぬよ。釣った責任を取ってよ。じゃないと死ぬ。


お腹が空かなきゃいいのにな。
空腹を感じなかったら、狭い金魚鉢の中で幸せに泳ぎ続けることができるのに。












読み返したら笑えて来た!なんだこのクソポエム!
笑える間は大丈夫かな。まだ降りたくないよ。

てっぺんでは星しか見えない

これは仮説です。あまり深くつっこまないでいただけるとありがたいです。

 

 

推しの古参が突然マウントし始めた。

自分が完全なド新規であることを棚に上げて言っちゃうと、新規のマウントは可愛いものだけど古参のマウントは破壊力がすごい。重みが違う。

 

だけど、それは終わりの始まりのような気がして。

 

 

若手俳優沼を山登りに喩えると、1、2合目から見える景色なんて上の山ばっかり。5合目でも木の合間からようやく空が見えるくらいだろう。9合目あたりが一番もどかしいかもしれない。

そして山頂にたどり着いたとき。空しか、星しか見えないはず。

星と自分だけの世界。星は大概気まぐれだし、流れ星が見たいのかオーロラが見たいのかで過ごし方はきっと変わるけど、そのときは周りの登山者なんて気にならないだろう。

 

もし、周りの登山者が気になるなら、そのときは山頂から押しやられてるんじゃないかと思う。

 

 

私は性格が悪いから、その古参の人のマウントを聞いて、「〇〇はしてもらったみたいだけど、△△はしてもらってなさそうだな」と思った。

その人に勝ちたいとかじゃないけど、なんとなく推しの中での古参の人の立ち位置を想像してしまう。長い付き合いでそれなりに大事にしてる。だけど、一番ってことはなさそう。

 

マウントなんて逆効果だ。自分の優位性を示すための行為だろうに、結局山頂近辺の登山者に値踏みされるだけ。

そもそもマウントしようと思った時点で頂点からは転げ落ちてるのに。

 

 

 

 

末筆ながら、前回の記事は某ぴょんさんにツイッターで取り上げていただいたため、閲覧数が見たことない数字になってました。ブクマまでいただいたのは初めてで大変恐縮です。こういう思いをしているのはきっと私だけじゃないんだって勇気づけられました。本当にありがとうございました。個人的に某ぴょんさんのブログのファンです。

 

きっとこれは悪夢なんだ


先月、推しが出ている舞台がありました。
ぶっちゃけあんまり埋まっていなくて、一つでも席を埋めようと思って通いました。


お客さんも少ないから、推しは毎回出席確認してくれました。


ああ、うれしいな。最初はその感情だけでした。だけど、毎日となるとうれしさだけじゃなくなってしまって。


昨日より見てくれなかった、ちらっとだけであとは全然だった……そのうち、自分の中でどんどん不満ばかりがたまっていることに気付きました。私は一体何を見にいってるのでしょう。

話自体が私の好みじゃなかったのもあるのかもしれません(役者さんたちは一生懸命演じてくださっていたし、不満は全くないです。ただ話が好みじゃなかっただけ)。でも、途中から「推しからのファンサ>舞台そのもの」になってしまったのです。

好みではない舞台に何回も通うのは限界があるのかもしれません。推しが出ているから通うのは苦痛ではないと思っていたけど、だんだん目的が違うところに移ってしまった。


初めて推しのオタクやっててつらいと思ってしまった。

一度だけ舞台を見て「推しかっこよかった!」と言うようなファンの方が楽だ。
チケット買って、お花出して、プレゼント入れて、多くを求めてはいないはずだったのに、気付いたら軽蔑しているようなファンサ乞食のオタクになってしまっていた。しかも、「好きという主張は一人前のくせに全然舞台入らないオタク」と自分は違うから自分はファンサを受ける資格がある、みたいな気持ちが根底にあることに気付いてしまった。


最低だ。


最低だと思っても、一度もらったファンサが減るのはどうしたってつらい。一度あげた生活レベルを下げるのは死ぬほど苦痛というのと同じような話。もらい続けていないと死ぬ。

ファンサ乞食をあんなに嫌っていた私は、きっと同族嫌悪だったんだ。自分が誰よりもほしいから、あの子たちを嫌っていた。



推しはこんなふうに私が思い悩んでいることを知らない。カーテンコールでよく見かける自分のファンを見つけて、その瞬間くらいは「ありがとう」と思ってくれているかもしれないけど、それだけだ。


今はそれがありがたい。

しばらく舞台から離れて、推しから目をそらして、自分の生活を大事にしているうちに、また純粋に演じている推しを見たいと思えるようになるかもしれない。

もう一度、「いいファン」の私になれるかもしれない。


なんでこんなにこじらせちゃったんだろう。
ただ推しを応援したいだけだったのに。