どこを目指せばいいんだろう

 

ものすごく幸せなことがあると、そのあと辛い鬱がやってくる。

 

だいたいなんでもそう。ずっと幸せなんてまずありえない。そうはいっても、逆もまた然りでずっと苦しいこともないから、なんとか生きていけるんだけど。

 

これは自慢と苦しみの話です。私の今の内面同様、文章もぐちゃぐちゃです。

 

 

ものすごく幸せなことがあった。出待ちとか、つながるとか、そういうことではなくて、公式な場でとてもいいことがあった。(わかる人にはわかるかもしれない。あんまりバレたくないので、そのうちこの記事も消します)

 

推しは特別扱いしてくれた、と思う。わからない。周りにたくさんの人がいた。そのたくさんの人も、わりと特別扱いしてくれた。その状況をなんどもイメージしてはいたのだけど、実際に目の当たりにすると破壊力がとんでもなかった。

 

 

リアコではない私ですら死んだのに、リアコだったらきっと生き返れなかったと思う。夢のような時間と、その後の地獄みたいな現実とのギャップに一生苦しむことになったと思う。だから、私はリアコじゃなくて本当によかった。

 

私は、推しのおたくだ。

恋人ではないし、友達でもない。あくまで俳優とおたく。

だけど、あの時間だけはそうではなかった、ように思わされた。

 

信頼してもらえている、と初めて感じてからどれだけ時間が経っただろう。

いいファンでいたいとずっと思ってた。不必要に出しゃばらず、でも形になる応援をする。それをわかってくれているんだと実感したとき、すごく嬉しかった。

一方で、カテコでの目配せや頷きや手を振る姿を見るたびに舞い上がるかのようだった感情は、以前のようにはキラキラしなくなっていた気がする。慣れって嫌だな。

その慣れてしまって当たり前に思ってしまっていたファンサを優に超えたあの時間。久しぶりに殴られたみたいな気分になった。

積み重ねたものがあったからこそだと思う。地道に劇場に通った、私にできたことなんてほとんどそれだけなんだけど、ずっと通ってよかった、何度もそう思った。

 

私しか知らない声、言葉、表情。

全部覚えていたいけど、記憶はすぐに薄れてこぼれていく。

だから、何度も何度も反芻してる。少しでも私の体の一部になるように。染み付いて決して消えないように。

 

反芻していくうちに、推しに話したいことがたくさん出てくる。

「あのときはね」「そのあとね」

でも、それは叶わない。だって、私は推しのおたくにすぎなくて、恋人でも友達でもなんでもない。

もしかしたらそのうちあるかもしれない接触で伝えることはできるかもしれないけど、でも、それはなんとなく自分の流儀に反する気もする。あの場であったことはあれで完結しているのに、また蒸し返すというのはちょっとマナー違反に思える。

 

あのときは、あんなに近かったのに。

信頼してくれていて、とても楽しくて。恥ずかしくてあんまり顔は見られなかったけど、たくさん笑って。

あのときは、もう終わった。これから先、それ以上のことはない。二度とない。あれが最初で最後なんだ。

 

ものすごく幸せなことって、二度と経験できないって初めからわかってるなら、経験しないほうがマシなような気さえもする。一生思い出だけで生きていくなんて、そんな寂しいことあるかな。

この思い悩む姿も、ちょっと自分に酔ってるよね。だって、そうは言っても、何度人生やり直したところで、絶対この道を選ぶもの。苦しいとか辛いとか言ってるのはうわべだけ、一度きりだとしても、あの幸せな時間を経験する道を選ぶに決まってる。

 

それでも、私は悩んでしまう。

これからどこを目指せばいいかわからなくなってしまった。

ちょっと前の時点で、行き着くところまでいけた、そう思ってたのに。上には上があった。そしてそのさらに上はどこなのかわからない。

繋がる気はないおたくの目指す終着点って、いったいどんなところなんだろう。

 

 

 

そして書いていて笑えてきた。

推しのおたくなんだから、推しの舞台で活躍する姿を見ることが一番の幸せのはずなのにね。いつからこんなことになってしまったんだろう。リアコではない、と思うけど、そう主張していることで余計に自分の思想が気持ち悪いや。

 

ごめんね、推しくん。大混乱だよ。

でも、内面はどんなにドロドロが渦巻いていても、これからも変わらずに、出しゃばらずにおとなしく劇場に通うだけだから。中身の汚さは許して。

 

 

これからも好きでいさせてください。

これからも今までみたいに応援するから。