6月の夢

all I dream about

お花問題

 

この間更新したやつ、前に書いてることと一緒すぎてビビりました。おばあちゃん、とうとうぼけが始まったかな?

 

恥ずかしくて別のこと書いて流そうとしましたがうまくまとまらず、困っていたところでお花のことがちょこちょこ話題になってるので、昔書いた下書きにあったものを出してみます。身バレしても知らんぷりしてくださーい…

 

 

 

みなさん、推しにスタンド花を贈っていますか?

 

私は新米オタクながら贈っています。駆け出しなのを言い訳にしたくはないですが、今のところ納得のいくデザインのお花を贈ることができてなくて反省しきり。次こそは素敵なお花を!と思っています。

 

私にセンスがなくて大したことのないお花を贈ってばかりだから余計にそう思うのかもしれないけど、「お花、贈る意味あるのかな…」と悩むことも多々ありました。過去形になったのは、先日びっくりする事態が起こったからです。

 

推しの事務所から一斉メールが届くことがあったのですが、そのメールの最後にこう書いてあったのです。

「●●での素敵なお花、ありがとうございました」(文章は変えてあります)

 

ふんふんとメールを見ていたら最後に爆弾ですよ。ええ!?わざわざお礼!?

確かに、その舞台では推しに届いているお花はいつもと比べて少なかったんです。だから、あのときは私も「出してよかったなあ」と心から思っていました。

でも、まさか事務所から直接お礼を言っていただけるとは……

 

それで思ったのです。やっぱりお花って大事なんだなって。

ださかろうとなんだろうと、お花は贈るに越したことはない。

 

正直スタンド花は高いです。一つ出すだけで、数回舞台行けちゃいます。だけど、お花が全然なかったらやっぱり推しも悲しいだろうし、推しに悲しい思いをしてほしくない。

事務所がお礼を言うくらいだから、「お花がない=推しは悲しい」は事実だと思うんですよね。

 

 

もちろん、事務所や役者さんによって考え方は違うのかなとも思います。

俳優さんによっては、お礼のサインを入れたり、写真撮ってくれたりするみたいですね。そういうのがあればみんな張り切るんだろうけど、それがないと、お花はブロマイドや物販の売り上げみたいに直接的な効果はないから頑張りがいがないとも思うし。

でも、事務所もスタンド花、気にしてるんですね。

参考になるといいなと思って、勇気を出してブログに書いてみました。

 

最後に一番言いたいこと。

同厨のみなさん!スタンド花贈ってください!にわかが一人で奮闘したくないよ!

 

 

金魚

 

またブログを書くことになってしまった。

あれからまたいろいろあって、自分のやっていることに満足できた瞬間があったから、もうこのブログは消してもいいかなとすら思ってた。なのに、それからまたいろいろあって、今こうして病んだ思いを書いている。


なんで人間は見返りを求めるのだろう。
いや、いきなり全人類を巻き込んでしまったけど、少なくとも私は見返りを求めてしまっている。

その見返りを得られたと思ってるうちはいい。尽くすのもハッピーだ。
だけど、見返りがないと思った瞬間、どこまでも嫌になる。


何枚もチケットを買うのも、お花を贈るのも、プレゼント渡すのも、全部自分で決めたことだ。
私がやりたくてやったこと。
やりたいことをやっていて、どうしてこんなに苦しいのか。

病むくらいならやめればいいじゃん、と冷静な私が言う。そうだね、とも思う。苦しむくらいなら降りればいい。
なのに、どうして降りられないんだろう。
今までかけた時間やお金がもったいないからなんてこれっぽっちも思わない。そこは理由にならない。

やっぱり、好きなんだろうな。


どうしたら見返りを求めずにただ好きでいられるんだろう。
好きな気持ちを表そうとしていただけなのに、私はいつの間にか無理をしていたのかな。気づいたら見返りを求める嫌なオタクになってしまっていた。ただ好きだから舞台に行く、推しがかっこいい、幸せ。ここで終われたらよかったのに、好きなもののことは全て知りたいオタク体質なばっかりに通うようになり、推しに認知され、幸せと苦しみを知ることになった。


推しからもらったものは禁断の実だ。かじったら元の場所にはいられない。知らずにいたら、ずっとエデンにいられたかもしれないのに。


推しもずるいな。私がリアコじゃないのをわかっていての発言なんだろう。
でもね、いくら私がリアコじゃなくたって、釣った魚にも餌やらないと死ぬよ。釣った責任を取ってよ。じゃないと死ぬ。


お腹が空かなきゃいいのにな。
空腹を感じなかったら、狭い金魚鉢の中で幸せに泳ぎ続けることができるのに。












読み返したら笑えて来た!なんだこのクソポエム!
笑える間は大丈夫かな。まだ降りたくないよ。

てっぺんでは星しか見えない

これは仮説です。あまり深くつっこまないでいただけるとありがたいです。

 

 

推しの古参が突然マウントし始めた。

自分が完全なド新規であることを棚に上げて言っちゃうと、新規のマウントは可愛いものだけど古参のマウントは破壊力がすごい。重みが違う。

 

だけど、それは終わりの始まりのような気がして。

 

 

若手俳優沼を山登りに喩えると、1、2合目から見える景色なんて上の山ばっかり。5合目でも木の合間からようやく空が見えるくらいだろう。9合目あたりが一番もどかしいかもしれない。

そして山頂にたどり着いたとき。空しか、星しか見えないはず。

星と自分だけの世界。星は大概気まぐれだし、流れ星が見たいのかオーロラが見たいのかで過ごし方はきっと変わるけど、そのときは周りの登山者なんて気にならないだろう。

 

もし、周りの登山者が気になるなら、そのときは山頂から押しやられてるんじゃないかと思う。

 

 

私は性格が悪いから、その古参の人のマウントを聞いて、「〇〇はしてもらったみたいだけど、△△はしてもらってなさそうだな」と思った。

その人に勝ちたいとかじゃないけど、なんとなく推しの中での古参の人の立ち位置を想像してしまう。長い付き合いでそれなりに大事にしてる。だけど、一番ってことはなさそう。

 

マウントなんて逆効果だ。自分の優位性を示すための行為だろうに、結局山頂近辺の登山者に値踏みされるだけ。

そもそもマウントしようと思った時点で頂点からは転げ落ちてるのに。

 

 

 

 

末筆ながら、前回の記事は某ぴょんさんにツイッターで取り上げていただいたため、閲覧数が見たことない数字になってました。ブクマまでいただいたのは初めてで大変恐縮です。こういう思いをしているのはきっと私だけじゃないんだって勇気づけられました。本当にありがとうございました。個人的に某ぴょんさんのブログのファンです。

 

きっとこれは悪夢なんだ


先月、推しが出ている舞台がありました。
ぶっちゃけあんまり埋まっていなくて、一つでも席を埋めようと思って通いました。


お客さんも少ないから、推しは毎回出席確認してくれました。


ああ、うれしいな。最初はその感情だけでした。だけど、毎日となるとうれしさだけじゃなくなってしまって。


昨日より見てくれなかった、ちらっとだけであとは全然だった……そのうち、自分の中でどんどん不満ばかりがたまっていることに気付きました。私は一体何を見にいってるのでしょう。

話自体が私の好みじゃなかったのもあるのかもしれません(役者さんたちは一生懸命演じてくださっていたし、不満は全くないです。ただ話が好みじゃなかっただけ)。でも、途中から「推しからのファンサ>舞台そのもの」になってしまったのです。

好みではない舞台に何回も通うのは限界があるのかもしれません。推しが出ているから通うのは苦痛ではないと思っていたけど、だんだん目的が違うところに移ってしまった。


初めて推しのオタクやっててつらいと思ってしまった。

一度だけ舞台を見て「推しかっこよかった!」と言うようなファンの方が楽だ。
チケット買って、お花出して、プレゼント入れて、多くを求めてはいないはずだったのに、気付いたら軽蔑しているようなファンサ乞食のオタクになってしまっていた。しかも、「好きという主張は一人前のくせに全然舞台入らないオタク」と自分は違うから自分はファンサを受ける資格がある、みたいな気持ちが根底にあることに気付いてしまった。


最低だ。


最低だと思っても、一度もらったファンサが減るのはどうしたってつらい。一度あげた生活レベルを下げるのは死ぬほど苦痛というのと同じような話。もらい続けていないと死ぬ。

ファンサ乞食をあんなに嫌っていた私は、きっと同族嫌悪だったんだ。自分が誰よりもほしいから、あの子たちを嫌っていた。



推しはこんなふうに私が思い悩んでいることを知らない。カーテンコールでよく見かける自分のファンを見つけて、その瞬間くらいは「ありがとう」と思ってくれているかもしれないけど、それだけだ。


今はそれがありがたい。

しばらく舞台から離れて、推しから目をそらして、自分の生活を大事にしているうちに、また純粋に演じている推しを見たいと思えるようになるかもしれない。

もう一度、「いいファン」の私になれるかもしれない。


なんでこんなにこじらせちゃったんだろう。
ただ推しを応援したいだけだったのに。

私は聖人君子ではない

 昨日の更新は本当に書きたいことではなかったんです。
 いや、手紙書いたことも書き記しておきたかったので書きたくないわけではなかったんですけど、本当は違う話を書こうと思ってた。

 私が聖人君子ではない話です。

 そりゃそうだ。人間だから嫉妬するし羨むし、病むこともある。なるべくないように、とは思ってる。でも、そういうこともある。でも、そういう感情ばっかりだと楽しくない。楽しくない趣味なんて趣味じゃないと思うから、なるべく汚い感情とは距離を置こうとしてる。

 あと、うれしいことがあったら自慢したくなることもある。いや、全てが全て自慢じゃないと思う、ただ嬉しかったことを誰かに聞いて欲しいときはある。(きっとマウントしまくりのオタクはそういう主張なんだろうなって思います)
 でも、聞く方は嫌な気持ちになるかもしれないと思って、いつも伝えようとする自分にブレーキをかけてる。

 ここは私も推しも匿名だからちょっとくらいいいかな、と思ったりもする。でも、毎回下書きに保存してそのままだ。
 だって、ただのファンにすぎない私が推しとのあれこれを自慢するなんて罪深いし下品。せっかくの推しとのきれいな思い出を自分の手で汚してしまう気がする。下品な自分を許せないところは潔癖症だなって思います。

 じゃあ、上品な自慢ってどんなのだろう。推しが舞台で輝いていた話?確かにそれは上品な自慢だな。本来ここもそういうことを書く場所のつもりだったのに、どうしてこうなったのか。

 自己顕示欲って言葉が表立ってきたの、SNSが普及してからだと思う。昔の人類は顕示したくともその手段はなかった。だけど、今は簡単に顕示できちゃう。こんなことがあってこんなことを思ってこんなものを食べてこんな服を着て、自分のありとあらゆることを顔を見たこともない無数の人たちに一気に知らしめることができちゃう……現代病だなって思う。私もその病にかかってしまったのか。

 ネットさえなければ、きっとノートの片隅に推しとの思い出を書き溜めてときどき読み返してはニマニマするだけの、ある意味かわいいオタクでいられたのに。


 でも、他の人の自慢話って読むのおもしろいよね。上品なのももちろん楽しいけど、下品なのも自分の推しのことじゃなければ大好き!笑

 きっとそういう人も多いだろうなあ。
 ってことは、私が気にしすぎなのかな、もっと好き勝手書いてもいいのかなとも思えてくる。

 どうなんだろう。
 書いてもいいのかな。



 …書き出したときはこんな終わりになるとは思わなかった。これじゃプールサイドでそわそわしている上島さんじゃないか。

手紙を出した話

前回、前々回の記事にたくさんの星、ありがとうございました!共感していただけたのだと思って勝手に喜んでいます、ありがとうございます!お互い運命の相手に出会えたのですね!(運命論者)

推しと出会ってそろそろ1年ですが、初めてお小言ファンレターを書きました。
お小言ってほどじゃないと自分では思ってるんだけど、いつもの大絶賛じゃないからなあ。どう思うかな。

書きたかったことのメインはお小言なんだけど、さすがに冒頭から「あのさあ!あのときのことなんだけど!!」と話を始める気にはなれなかったので、最初にいつものような前回公演やイベントの感想を挟んだら*1便箋がいつもの2枚から倍の4枚になってしまった。どうか最後まで読んでくれ。

推し本人はあんまり手紙読んでないと思う。だけど、今回はどうしても伝えたかったので、事務所宛に送りました。事務所に送ればきっと誰かしらが開封して読んでくれるんじゃないかと思ったので。事務所の人もそんなヒマじゃないかなあ。
あと、読まれる可能性を考えたとき、比較的多くの手紙が届く公演中よりは目に留まりやすいかなと思って郵送しました。

さあ、どうなるか。わかってくれるといいな。これからもっと売れるためには絶対に必要なことだと思うから、届くといいな。


しかし、信じられないことに、今回つかったレターセット、便箋二つ折りじゃ封筒に入らなかったんです!ありえなくないですか!?何も考えずに半分に折ってから入らないことに気づいて、書き直す気力がなかったからそのまま三つ折りにしなおして送ったよ!!ってここまで書いたら推しに私が私だってばれますね。

推しー!!俺だー!!結婚してくれー!!

*1:もちろん、感想のあとにもこんなふうには切り出してないですよ

全てを好きじゃないと推せない

 タイトルのとおりです。
 若手俳優を推すようになってから、自分の応援スタンスを振り返ることが多くて、先日もこんなことを書きました。「この人を推したい」と思う感情は恋なのか違うのか、自問自答したやつです。
私が推しを推す理由 - 6月の夢
 自推しのことを考えていたらよくわからなかった感情が、他の俳優さんを見たらよくわかったので、記念記事を書かせていただきます。


 とても好きな顔の俳優さんが何人かいます。推しの顔も大好きですし、自撮りや映像見たら沸きますけど、推しは「私の好きな顔」そのものではないです。大好きだけど、顔ファンではない。
 その点、大好きな顔の人たちはRTで回ってきたりするとハッとします。やばい、と思います。何がやばいのか、全くやばくないんですけど、反射的にやばいと思ってしまうくらい、好きな顔なんだと思います。具体的には二人います。
 その二人共が、別々の舞台ですが、推しと共演しています。共演前は「その人たちに流れちゃったらどうしよう、キャハ⭐︎」みたいなことを考えたりもしましたが、結局流れることはなく推しが推しのままです。推しが舞台上にいるときは推ししか見てなかった。まあ、いないときはその人たち見てたけど、これくらいは許されたい。
 推しがいない間見続けた結果、その人たちの演技も好きでした。推しとは演技が違うから、ほほうと思ったし、なるほどとも思ったし、なかなかいいなとも思いました。でも推し変には至らなかった。そのときはぼんやりと「この人たちもとっても素敵なのに、顔も大好きなのに、やっぱり推しが推しだな」と思っただけで、理由まではピンときませんでした。

 今回のタイトルを理解したのは、円盤化された舞台の特典映像を見てから。推しの様子は全てしっくりくるのに、顔ファンの俳優さんの舞台を降りているときの様子に違和感を覚えました。
 詳細を書くといろいろばれてしまいそうなので伏せますが、推しの言動はいちいち「わかる〜〜〜〜〜!」「好き〜〜〜〜〜!」となるのに、顔ファンの俳優さんは「お、おう」となってしまうのです。
 それで気づいたのが、タイトルです。全てを好きじゃないと推せない。プライベートは別として、舞台の上やカメラの前、イベントのときに見せる推しの全てが好きです。演技、発言、行動、考え方、全部好き。だけど、顔ファンの俳優さんはそうではない。舞台上の姿と、何より顔はしぬほど好きだけど、でも全部好きとは言えない。

 推す、というのはとても神聖な行為だと思っています(だから、この間書いた「応援スタンス:潔癖性」につながるんだと思います)。生半可な気持ちで「推してる」と口にすべきではないし、推すと決めたからにはそれなりの覚悟を持ってすべきだというのが私の持論です。
 一方で、推すと決めたからには、推しにはそれなりの見返りを求めていいと思っています。この見返りというのはファンサとか認知とかそういう低俗な話ではなくて、「自分が推しを好きだと思った推しの姿を見せ続けること」です。プロ意識って言ってもいいかもしれません。だって、自分の貴重な時間とお金を結構な量使うんです。俳優さんサイドにもそれなりの覚悟を持っていただきたいと思っています*1
 でも、いくら俳優さんがプロ意識を見せてくれていても、最初から好きだと思えない瞬間が存在してしまったら、推す覚悟はできない。

 だから、全てを好きじゃないと推せないんです。少なくとも私は。
 推すと決めたからにはやれるだけのことをする。やれるだけのことをしたいと思える相手じゃないと推しだなんて口にできない。やれるだけのことをしたいと思う人は、全部好きな人。一瞬でも好きじゃない瞬間ができてしまう人のためには頑張れないから。
 どれだけ顔が好きでも、演技が素晴らしくても、役者として過ごしている全ての瞬間を好きだと思える人じゃないと推せない。
 つまり、私は推しの俳優としての全ての瞬間を好きだと思ってる。これはきっと限りなく恋に近い感情なんだと思う。



 なんて、こんなこと書いてるけど、一回舞台見ただけで私は今の推しを推すって決めたんですよね。舞台上の彼しか見てない中で決めた。でも、結果的に、カメラの前の彼もイベントでの彼も大好きだった。すごい。いつだってストライクゾーンど真ん中しか決めてこない。すごい。
 不思議だな。でも、こうして出会う運命だったんだろうなーって思っちゃってます、運命論者なので!
 あなたに出会えてよかったです。



 って朝から何を書いてるんだ私は。

*1:クズバレやカノバレで炎上するのはこれだと思います。「自分が推しを好きだと思った推しの姿」じゃないから