6月の夢

all I dream about

私が推しを推す理由

  またまた前回の記事にもたくさんのスターありがとうございました!人様にスターをつけてもらえること、ほんと、うれしいものですね……
 でも、すみません!推し以外の話も楽しいけど、推しの話だってしたい!
 がんじがらめになりながら何を言いたいのかわからなくなりそうなのは目に見えていますが、ちょっと書かせてくださいよろしくお願いします!

 正直なところ、自分の推しに対するスタンスがよくわからなくなってきた、という話です。
 リアコではないと思っています。一般的にリアコって同担拒否なイメージなんですけど、同担は全然いやじゃないどころか、新しいファンを見ると「ようこそ!推しくん素敵だよね!どんどんチケット買おうね!一緒にブロマイド積もうね!」って思うし。
 だけど、全くのリアコじゃないかというと、よくわかりません。
 そもそも私はほとんど演劇というものに接したことがなかったので、推しの演技を好きとか嫌いとか言えるほど演技についてよくわかりません。いや、もちろん演技している推しは好きなんですけど、それを「好きな演技をしている」と言えるかというと、それは違う気がする……
 演技じゃないなら、顔?はい、確かに顔大好きです。めっちゃ好き。だけど、「好きな顔をしている」のかというと、それもよくわかりません。だって、純粋に好きな顔だともっと別の俳優さんの名前を挙げたくなるんです。私の好みかというと、多分そうじゃない。
 なら、声?はい、声大好きです。舞台のブルーレイ流して声だけ聞きながら家事してたりします(ブルーレイの意味!)。でも、「好きな声をしているのか」というとそうでもない気がするし、それなら声優さんを好きになるべきでは?って思うし。
 じゃあ、どこが好きなのか。この一年弱、ずっと考え続けてきて一旦出した結論は、「私の理想の内面を押し付けられそうなところ」です。

 「私の理想の内面」。すでにこの文字の並びからしてやばい感じがしますねwでも続けちゃいます。
 推しは俳優であってアイドルではないけれど、偶像という点では似ていると思います。私はきっと推しのほんの一部しか知らなくて、それを全てだと思っている。これは偶像以外の何物でもない、と思う。
 その偶像が、もともと私が持っている男の人の理想の内面に近いから、好き。
 ほんの一部しか知らない人を好きになるという点では、小説や漫画やアニメに出てくるキャラクターを好きになるのと一緒だと思う。俳優推しの場合、相手が生身の人間で職業が俳優だというだけで、好きになる流れは同じ。でも、自分の理想を押し付けている時点で、夢女子さん寄りだとは思います。そして、夢女子さんと違って相手が生身の人間だから、リアコと呼ばれるものになってしまうのかもしれない。

 ここから推しバレ覚悟でもうちょっと書きますね。

 一度、郵送でお手紙を出したことがあります。その数日後、配信でのお仕事がありました。共演者の人たちと、「(推しは)繊細だからね」と連呼しあってました。
 手紙に書いたんですよね。「(推しくんの)繊細なところが好きです」って。
 考え過ぎというか自意識過剰に決まっているけど、このタイミングで普段そんなに連呼しない言葉を何度も挙げられると、みんなで私の手紙を回し読みしたのかと思っちゃう……きっと絶対違うけど……ていうかもしそうだとしたら読ませるなよ推し……

 そのときに思ったんですよね。「あー、私はほんとに推しの一部分しか知らないんだな」って。
 繊細だからね、と何度も言っていた人たちの口調は冗談でしかない感じだった。その人たちからしてみたら、推しは全然繊細じゃないのだろう。
 でもね、そのとき嫌な気持ちは全然しなくて(手紙の回し読みはしてほしくないけど!)、ちょっと意外だった。他の人が私と違う印象を持っているのは当然だってわかった上で、自分の理想を押し付けてる自覚があるからなのかな。平気だった。
 まあそうだよねと、共演者に繊細さ見せつけてたらやばいよね、とも思うしw

 でも、他の人がなんと言おうと、私の推しのイメージは繊細な人だ。細やかな気配りができて、いろいろ気づいて、気づきすぎてかえって疲れてしまうような。それは優しさとは違う、あくまで推しが気づいてしまうからそうしてるだけでしかない。
 そういうところが好き。

 ……となると、ほら。私、推しを俳優として好きなのか?って思えてくる。推しが俳優である必然がなくなってしまう。

 いや、言い訳させてください!確かに、今の私は推しの(私がでっち上げている)中身を含めて好きです。だけど、初見からいきなり内面がわかったかというと、そうではないわけで。
 初めて見た舞台。終わったあと、発表されている舞台のチケットをすぐさま申し込みました。この行動はひとえに推しの演技をもっとみたいと思ったからだと思います。だから、私を推しを好きになったきっかけは、あくまで彼の演技なんだと思います!すみません、許してください!できるだけ公演の半分以上は入るようにしてます!イベントしか行かないファンとかそういうのじゃないつもり!

 だけど。推しのどこが好きかっていったら、「私の好きなタイプ(勝手に作り上げた内面含む)の人が演技しているところ」なんじゃないかなあって思うんだよね。これが夢女子思考、あるいはリアコとどう違うのか、私にはよくわからない。

 とまあ、私の推しへの感情はさておき、このままでは推しが手紙を共演者と回し読みするようなクズだった可能性を残して終わってしまうのでw、推しを褒めて終わりたいと思います!

 えー、とあるイベント事で推しからメッセージカードをもらいました。(いろいろ察してください)
 その中から、私が『だから好きなんだよな』と思った2文を抜粋します。
「一緒に素敵な一年にしようね。僕も頑張ります」

 綿矢りささんの「夢を与える」という小説、一度さらっと読んだだけだから細かいところは覚えてないんだけど、若い女優である主人公がインタビューで『夢を与えられるような女優になりたいです』って言うのね。タイトルになるくらいだから、それがほぼ主題。スポーツ選手なんかでもときどき問題になることがあるけど、「元気をもらいました!」とか「勇気が出ました!」って見た側/与えられた側が言うのはアリだけど、「夢を与えたい」「希望を与えたい」だなんて、見せる側/与える側は言ってはいけないと思う。「与える」という言葉はあまりにも上下関係をはっきりさせてしまう。自分がその発言者のファンならまだいい、いつも与えられている自覚がある。でも、どうでもいい(ごめんなさい)若手俳優さんが「みなさんに元気を与えられるように!」とか言うと、口うるさくてごめんと思いながらもちょっともやっとする。
 推しはそのあたりをすごく上手にまとめてくれた。
 私は推しのファンだ。彼の活躍は私の喜びで、与えられてると思う。だけど、推しは『一緒に』素敵な一年にしようと言ってくれた。そのために、『僕も』頑張る、と。
 ここ、もう一つポイントがあって。『一緒に頑張ろう』じゃないんですよ。
 どなたかのはてブロを拝読して、ああ思いを伝えるのって難しいなって思ったんですけど(ごめんなさい、どなたかわからなくなってしまいました)。『一緒に頑張ろう』でも一見良さそうじゃないですか。でも、『一緒に頑張ろう』だと、一緒にって、私は何を頑張るんだ、チケ取りか、はたまた貢ぎかって思ってしまいかねない(それは私の性格が悪いからかもしれないけど)。
 推しもね、僕『も』頑張りますって書いてるから、私がそれなりにチケット代出したりしょうもないプレゼント送るために頑張ってるのはわかってくれてるんだ。でも、『一緒に』としなかっただけで、私の頑張りは私次第というか、強制されてる感じはない。だから、「うん!私も推しくんのために頑張るね!」って素直に思える。
 先のブログの方の俳優さんと言ってることはほとんど同じなのに、言い回しってすごく難しくて、すごく大事だなって思いました。

 こういう気配りをできるところが好きです*1
 そんな推しが演技をしている姿を見たくてまた劇場に行くんだと思います。

 これはリアコなんだろうか?

*1:念のため書かせてくださいね。私だけにそうやって言ってくれたと思ってるわけじゃないです!きっとこれが推しのテンプレ文なんだと思います。でも、テンプレ文こそたくさんのファンが目にするものだし、こういうテンプレ文にするところが好きだなって思っています