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6月の夢

all I dream about

全てを好きじゃないと推せない

 タイトルのとおりです。
 若手俳優を推すようになってから、自分の応援スタンスを振り返ることが多くて、先日もこんなことを書きました。「この人を推したい」と思う感情は恋なのか違うのか、自問自答したやつです。
私が推しを推す理由 - 6月の夢
 自推しのことを考えていたらよくわからなかった感情が、他の俳優さんを見たらよくわかったので、記念記事を書かせていただきます。


 とても好きな顔の俳優さんが何人かいます。推しの顔も大好きですし、自撮りや映像見たら沸きますけど、推しは「私の好きな顔」そのものではないです。大好きだけど、顔ファンではない。
 その点、大好きな顔の人たちはRTで回ってきたりするとハッとします。やばい、と思います。何がやばいのか、全くやばくないんですけど、反射的にやばいと思ってしまうくらい、好きな顔なんだと思います。具体的には二人います。
 その二人共が、別々の舞台ですが、推しと共演しています。共演前は「その人たちに流れちゃったらどうしよう、キャハ⭐︎」みたいなことを考えたりもしましたが、結局流れることはなく推しが推しのままです。推しが舞台上にいるときは推ししか見てなかった。まあ、いないときはその人たち見てたけど、これくらいは許されたい。
 推しがいない間見続けた結果、その人たちの演技も好きでした。推しとは演技が違うから、ほほうと思ったし、なるほどとも思ったし、なかなかいいなとも思いました。でも推し変には至らなかった。そのときはぼんやりと「この人たちもとっても素敵なのに、顔も大好きなのに、やっぱり推しが推しだな」と思っただけで、理由まではピンときませんでした。

 今回のタイトルを理解したのは、円盤化された舞台の特典映像を見てから。推しの様子は全てしっくりくるのに、顔ファンの俳優さんの舞台を降りているときの様子に違和感を覚えました。
 詳細を書くといろいろばれてしまいそうなので伏せますが、推しの言動はいちいち「わかる〜〜〜〜〜!」「好き〜〜〜〜〜!」となるのに、顔ファンの俳優さんは「お、おう」となってしまうのです。
 それで気づいたのが、タイトルです。全てを好きじゃないと推せない。プライベートは別として、舞台の上やカメラの前、イベントのときに見せる推しの全てが好きです。演技、発言、行動、考え方、全部好き。だけど、顔ファンの俳優さんはそうではない。舞台上の姿と、何より顔はしぬほど好きだけど、でも全部好きとは言えない。

 推す、というのはとても神聖な行為だと思っています(だから、この間書いた「応援スタンス:潔癖性」につながるんだと思います)。生半可な気持ちで「推してる」と口にすべきではないし、推すと決めたからにはそれなりの覚悟を持ってすべきだというのが私の持論です。
 一方で、推すと決めたからには、推しにはそれなりの見返りを求めていいと思っています。この見返りというのはファンサとか認知とかそういう低俗な話ではなくて、「自分が推しを好きだと思った推しの姿を見せ続けること」です。プロ意識って言ってもいいかもしれません。だって、自分の貴重な時間とお金を結構な量使うんです。俳優さんサイドにもそれなりの覚悟を持っていただきたいと思っています*1
 でも、いくら俳優さんがプロ意識を見せてくれていても、最初から好きだと思えない瞬間が存在してしまったら、推す覚悟はできない。

 だから、全てを好きじゃないと推せないんです。少なくとも私は。
 推すと決めたからにはやれるだけのことをする。やれるだけのことをしたいと思える相手じゃないと推しだなんて口にできない。やれるだけのことをしたいと思う人は、全部好きな人。一瞬でも好きじゃない瞬間ができてしまう人のためには頑張れないから。
 どれだけ顔が好きでも、演技が素晴らしくても、役者として過ごしている全ての瞬間を好きだと思える人じゃないと推せない。
 つまり、私は推しの俳優としての全ての瞬間を好きだと思ってる。これはきっと限りなく恋に近い感情なんだと思う。



 なんて、こんなこと書いてるけど、一回舞台見ただけで私は今の推しを推すって決めたんですよね。舞台上の彼しか見てない中で決めた。でも、結果的に、カメラの前の彼もイベントでの彼も大好きだった。すごい。いつだってストライクゾーンど真ん中しか決めてこない。すごい。
 不思議だな。でも、こうして出会う運命だったんだろうなーって思っちゃってます、運命論者なので!
 あなたに出会えてよかったです。



 って朝から何を書いてるんだ私は。

*1:クズバレやカノバレで炎上するのはこれだと思います。「自分が推しを好きだと思った推しの姿」じゃないから